桂米朝さん、人間国宝です。と言えば人間国宝という人をまじかで見たのは初めて。いや、もしかすると能で見たんだっけ。
米朝さんの古典落語は、演目にもよりますが古き商都大阪の文化の香りがして大変すてきです。穏やかで粋でそして情緒と気品にあふれています。さりげない言葉の運びによる笑いはまさに名人芸なのです。
あ、でもよく考えると名人や達人の落語は東西に関係なく粋で情緒と気品にあふれています。そう、ちょっと前に聞いた立川志の輔(しのすけ)さんも品の良い落語をする人だと思います。
「美しいことば」というのが確かにあります。そしてそうでない言葉というのも確かにあります。自分のことしか目に入らない人が使うことばはまったくを持って美しくありません。
セレニティアスではメールでお客様とやりとりすることが仕事の90%を占めます。文字どおりメールを使った言葉の応酬なのです。
少し前にアメリカの研究機関の発表によりますと、メールの内容把握率についてそれは50%以下ということになっているそうです。
メールでは相手の意図を50%も理解していないということなんですね。多人種で日本よりも文盲率の高いアメリカでの研究データではありますが、セレニティアスの仕事を通じては、もしかすると日本でもその程度ではないかと思えています。
大切なことを押さえてもらおうとすれば、文章が長くなりがち。ところが長い文章は読んでもらえず。誤解なく要点を押さえてもらおうと思ってできる限り短くしようと思うとちょっとしたことから誤解を招くといったことにもなり、さじ加減は大変困難を極めます。
そして不思議なことに、セレニティアスを開設して5年の歳月、文章が伝わっていないという度合いが更に高くなっているように思えてなりません。
「落語」日本語を使った伝統芸能であり、日本語を介する人どうしであればその人の理解度に応じて楽しむことができる楽しい話。たった2回の落語会しか見てませんが、若いお客様が大変少ないです。もしかしたらそのまますたれてしまうのでしょうか?
誰か偉い人が言ってましたが、「言葉が通じなくなる度合いに伴って文化文明が衰退する」。ああ、まさにその通りだと感じます。
落語会の帰り、米朝さんのDVDを買いました。この土日の休日には美しい日本語に触れるぞ!